日本人の精神構造、あるいは心の深層を考えるには、歴史を遡らなくてはなりません。それも太古の昔にまで。
分析心理学者の河合隼雄氏(1928年~2007年)は、古事記に日本人の精神構造のヒントを得ています。
古事記によりますと、「イザナギ」と「イザナミ」の子である貴神には「アマテラス」と「スサノオ」がいますがもう1人、真ん中の子として「ツクヨミ」がいます。しかし、この「ツクヨミ」は無為の神としてしか扱われていないとのこと、このようなことはほかにも沢山あるらしく、日本の神話から言えることは、日本人には真中が抜け落ちるという構造があるのではないかということです。河合隼雄氏はこれを「中空構造」といい、日本人の精神構造や心の深層の大きな要素になっているのではないかという意見をお持ちのようです。
要するに中心、あるいは芯となるものがない中抜け状態なのがその特徴ということになりますが、時代を平安時代以降の権力関係に戻して考えてみますと、権力側は朝廷と武家に分かれていて、庶民はその真中でただじっといただけですから、これも中抜けと言えるでしょうね。
このことは国民の多くが確固たる芯のようなものを持つことができなかったことを意味しますが、為政者としてはこのような国民を統治するのはとても楽だったのでしょうね。信念を持って歯向かう人がいないのですから。
長い間支配者、権力者は「民は由らしむべし、知らしむべからず」と考え、一方で民の多くは「長いものに巻かれろ」と思っていたわけです。それが長い間続いたわけですが、その原因は日本人の精神構造が「中空構造」になっていたことにあるのかもしれません。
前回述べましたように、明治維新によって日本の統治機構は劇的に変わったのに、国民の考え方は何ら変わっていませんが、その原因の1つに、この中空構造があるように思われます。それでは、現在ではどうでしょうか。少しは変わったのでしょうか。結論から言いますと、何も変わっていないと言うしかありません。
太古の昔から続いている精神構造は、意識的に変える努力をしないと簡単に変えられるものではないですよね。
さて、中抜けで芯がないとそこには何でもスルリと入ってしまいます。そして、入ったものは深い吟味をすることなく、そのまま受け入れてしまうということになります。明治以降の国づくりや、先の大戦にしても国民はただ中空のなかにあって、何もしてこなかったということになるのでしょう。
そこで現在でも変わっていない「中空構造」を原因とする諸問題の具体例を識者の意見などを参考にしながら考えてみたいと思います。
まず1つの例として、全国各地で次から次に広まり、盛んに行われている「よさこい祭り」について心理学者の斎藤環氏は、「ヤンキー化する日本」という本で、このようなものが意味もなくどんどん広がっていくことを、「中空構造」に由来する日本人の反知性主義、ヤンキー化と批判しています。同じような現象は「阿波踊り」にもあるわけですが、「よさこい祭り」、「阿波踊り」は高知、徳島のものなのに、各地で大変な盛り上がりのなかで行われているのは何だか変ですよね。
それから市民マラソン、これには相当の手間と費用がかかるのに、他の都市に負けじと多くの都市で行われるようになった、そして、これらの人気はすごいもので、参加したくても抽選に当たらずなかなか参加できない。
これらの現象は、だれかがあるイベントを提案すると、多くの人が深く考えもせずにどっと参加をすることに由来していると思われます。
歌唱力やダンスのレベルが高いとは思われないグループの大規模なコンサートに多くの若者が熱狂したり、発祥のいわれも分からずに「ハロウィン祭り」を盛り上げたりしていますが、これも同じような現象でしょう。又、スマホのゲーム等のアプリに、多くの人が暇さえあればのめり込んでいる、電車に乗っている人を見ると、本を読んでいる人は僅かしかいなくて、多くの人がスマホの画面に没入しています。この光景も変ですね。
作家の高村薫氏は、「人間は本来、思索家である。思索のためには、ある程度の暇が必要なのだが、殆どの人がこの暇を作らず思索家であることを放棄している。このような現象は「知」の劣化であり、反知性的になっている。」という趣旨のことを言っています。ネット上での上品とは言えない語調での目に余る無責任な投稿も、同根の問題といえるでしょう。
昔の話ですが、日露戦争終結の際の講和内容に不満を抱く多くの日本人が動乱とも言うべき大騒擾事件を起こした例などは、その典型といえるでしょう。このような現象すべては、斎藤環氏が主張する「反知性主義」、「ヤンキー化」と言えるのでしょう。
そこで一番困るのは、政治が「反知性的」になる「ヤンキー化する」ということです。
昨今の政治情勢を見ていると、すでにそうなっていると言わざるを得ません。もちろん、政治家自身もヤンキー化しているわけで、その最たる者が安倍総理であり、橋下徹氏でしょう。斎藤環氏もそのようなことを言っていますし、同氏は彼ら(特に橋下氏)を地頭の良いヤンキーといい、これらの人が普通のヤンキーである国民を引っ張るから困ると言いたげです。
いずれにしても、我々は日本人の精神構造、心の深層(精神的DNAと言っていいのかもしれませんね。)をよく認識し、知性の回復と思索家への回帰をしなければならないと思います。そうしないと、日本人の知性はどんどん劣化し、国の進むべき道が間違ってしまうように思います。
もっとも、日本のこの「中空構造」にはいいところもあるように思われます。
中空ですから、まわりに囲まれている。そうすると、その中でエネルギーが溜まり、これが高まっていきます。そのうち、このエネルギーは熟成され、大きな文化を生み出す力となります。
例えば、京都の純日本的な美、これは長い間、武家と朝廷の間にあって両方の権力関係を忖度しながら生きてきた聖職者や町人たちのエネルギーの熟成が築き上げてきたものではないでしょうか。寺院、茶の湯、懐石料理などの美意識は、その代表的なものです。
京都に限らず、日本文化の能や日本庭園、絵画や蒔絵などの美術、陶磁器などは素晴らしく、世界の芸術の発展に寄与しています。現代のフランス料理、ヌーベル・キュイジーヌ・フランセーズは懐石料理そのものですし、浮世絵等はヨーロッパの印象派絵画に大きな影響を与えました。イギリス、フランス、北欧の磁器のベースは日本(特に有田焼)に負うところが大きいでしょう。
このような、日本の世界に誇れる文化と美意識は、大切にしたいものです。
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