スポーツの汗やプレイの醍醐味、素晴らしいプレイに対する観客の感動、スポーツは自分で楽しむのも見るのもいいものですね。
スポーツの起源は狩猟と言われています。
狩猟では、動物と対峙できるだけの走力、跳躍力や筋力を身につける必要がありますし、相手を倒すための飛び道具を駆使したり、知恵を働かせることも必要となります。
それらをスポーツに向けて考えてみると、基本的なものとして、陸上競技のトラック走やフィールドでの棒高跳び、走り幅跳び、やり投げ、ハンマー投げ、砲丸投げ、それからレスリングや柔道というものになりますし、複数の狩猟参加者が知恵を絞り、連携して獲物を追い込むのはサッカーというスポーツになるのでしょう。捕鯨は水球でしょうか。
しかし、狩猟とスポーツで大きく違うところは、狩猟の場合は、うまく事が運ばないときは、家族みんながその日の食事にありつけず、深刻な事態になるのに対し、スポーツはゲームですから、単に負けるというだけです。
そういう点からすると、狩猟はある意味で神秘的で神聖なもの、スポーツはルールを定めてゲーム化するわけですから、世俗的なものと言えます。
このスポーツの世俗性についても色々あって、金銭と無縁なアマチュア精神に基づくものと、これで金を稼ぐプロスポーツがあり、プロスポーツ選手には悪いですが、後者は通俗と言っていいのかもしれません。
しかし、プロスポーツでは優れた能力を有する選手が観客に高い技術とパワーを見せるわけですから、観客に与える感動はとても大きなものです。又、プロ野球は娯楽性が高いですから日々の憂さを晴らしてくれます。
今年のソフトバンクホークスの選手が見せてくれた数々の名プレイや圧倒的な強さには、大いに感動させられました。
ところで、オリンピックはどうでしょうか。これはアマチュアリズムによって支配されるものですから、本来純粋なものです。
しかし、近年はプロ選手の参加が認められ、運営も極めて商業的になっていますから、純粋さには疑問を感じます。
億単位の収入のある、テニスや野球の選手があまりお金を持っていないアマチュアの選手に交じって参加する状況には、違和感を憶えますし、多額の費用をかけたイヴェントや仕掛けの壮大さは商業主義としか言いようがありません。これでは経済力のない国での開催はとても実現不可能です。
2020年の東京オリンピックの会場が予定されている新国立競技場の建設費に、数千億円の費用をかけるなんて、どうかしているとしか言いようがありません。
なぜ、収容力も十分にある立派な国立競技場を取り壊したのでしょうか。因みにこの旧国立競技場は、1964年の東京オリンピックのために建設されたものです。そしてこの年、東海道新幹線、東京モノレールが開業いたしました。作家の奥田英朗氏が書いた「オリンピックの身代金」という小説があります。5、6年前の作品ですが、この小説に1964年のオリンピック開催へ向けた国民の希望やその当時の世相が書かれています。当時は全共闘時代ですから、過激派も出てきますし、虐げられた東北の人達(東北は今でも都会の犠牲、踏み台になっていますね。)の出稼ぎの辛苦も描かれています。
この1964年の東京オリンピックは、10月10日に開会しました。私は高校3年生でしたが(この頃は舟木一夫の「高校3年生」という唄が流行っていました。)、開会式当日の抜けるような青空は今でも忘れられません。旧国立競技場ができる前のこの地には、明治神宮外苑競技場がありました。この競技場といえば、1943年10月21日、ここで開かれた出陣学徒壮行会のことを考えますが、何かと不思議な因縁のようなものを感じさせられます。
1964年の東京オリンピックがそうであったように、以前はオリンピックの開催時期は、選手が競技をしやすい気候に恵まれた秋でした。
しかし、いつからか忘れましたが、そのうち真夏開催となってしまいました。その理由はどこにあるかというと、アメリカのプロスポーツにあるようです。
アメリカには多種のプロスポーツがありますね。
有名なのは野球(大リーグ)、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー、サッカーです。
このプロスポーツのクライマックスは秋にあります。大リーグのワールドシリーズがその代表格です。
ですから、秋にオリンピックをやってもらうとアメリカのプロスポーツの興業が困るのです。
そこでIOCに圧力をかけて、無理矢理夏開催とさせたものと思われます。これではオリンピックがプロスポーツ、ビジネスに屈したと言われても仕方ありません。
競技の結果についても、メダル至上主義に走っています。メダルを取らないと、参加する意味がないような風潮です。フランスのピエール・ド・クーベルタンが昔言った「オリンピックは勝つことではなく、参加することにこそ意義がある。」との精神はどうなったのでしょうか。(若い人はこの言葉を知らないかもしれませんね。)
それにしても、ロシアの陸連組織ぐるみの反ドーピング行為はひどいですね。なりふり構わずメダルを取りに行くというものでしょう。
このようなことを考えますと、オリンピックは金まみれ(サッカーのFIFAも完全に金まみれのようです。)と言っても過言ではありません。スポーツは通俗でいいのですが、こうなってしまうとそのうち低俗になってしまうのではないかと危惧しています。
スポーツ観戦を趣味とする私(特に野球、相撲、ラグビー、テニスが大好きです。)にとって、スポーツの品格をこれ以上落として欲しくないと思います。
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