春になりプロ野球が開幕しました。今年はどんな名勝負がくり広げられるのか楽しみですが、私を引きつけてやまない日本の野球の醍醐味について少し考えてみたいと思います。
日本のプロ野球とメジャーリーグには野球についての考え方も含めて大きな違いがありますが、日本に古くからある柔道、剣道、空手などの武道と日本野球との共通点がそれを解く鍵のような気がいたします。又、静と動のくりかえしがある能や、亭主と客の間合いや畏敬に重要な意味のある茶の湯の文化も参考になるのかもしれません。
野球は投手の投球からスタートします。一般的に球技はボールを持っている方が攻める側ですから、野球は投手が攻撃者であるともいえます。これは野球を日本に普及させた正岡子規が言った言葉で、投手が野球では中心であるという考え方です。この考え方は日本の野球の伝統的な意識だったように思えます。
アメリカ野球での投手についての考え方は、投手は打者にボールを打たせるのがその基本的役割というものです。従ってストライクゾーンをはずした、打てないようなボールは打者から見るとアンフェアだから、アンフェアボール、略してボールと言うわけです。つまり、野球の主役は打者というものですね。ですからカウントの仕方もボールから先にコールします。
一方日本では投手が主役ですから、ストライクを先にカウントしているわけで、先ほどの説明からすると理にかなっていると思います。そうしますと国際ルールに合わせようと言って日本の野球でのカウントのコールの仕方をアメリカ式に変えたことはどうかと思います。
日本の投手は、アメリカの投手のように捕手から返球されたボールをすぐには打者に投げません。
打者の心理状態を読んだり、細かな動きを見たりしながらどうすればこの打者を打ち取れるかを考えて一球一球を投じます。又、走者に対する牽制球を頻繁に投げて打者の心理状態を読みます。逆に打者も同じようにどうすればボールを打ち返せるかを考えて打席に立ちます。野球は集団スポーツでありチームプレーであるわけですが、日本の野球でのこのような投手、打者の関係、対決を見ていますとまさに1対1の対決が基本といえます。
日本人は1対1の対決が好きですね。
他のスポーツでは相撲、柔道、剣道、空手などがあります。これらのスポーツは野球での投手と打者との対決と共通面があって、そこには対決当事者による心理的な戦いがあります。しかし西欧では1対1で対決するスポーツはあまりありませんね。西欧でさかんなスポーツはサッカー、フットボール、バスケット、アイスホッケー、ラグビーですから。
このような日本的対決スポーツでは心理的な戦いにおける静と、その後の動とが交叉します。この静から激しい動への転換は能と共通するところがありますが、日本人はこの転換も好きなのでしょう。
食文化にも似たような日本と西欧の違いがあります。日本の外食ではカウンターでの料理人から客への料理の提供があります。これも料理人と客との1対1の対決でしょう。その典型が鮨屋です。鮨職人は客がどの程度食についての美意識を持っているのかを探り、客は鮨職人がどんな魚を仕入れてくるのか、どんな鮨飯をたくか、そしてどんな握り方の腕前をもっているかを探ります。野球と同じようにこれも心理戦のようなものですね。
鮨に限らず日本ではほかにもカウンターをはさんでの料理の提供と飲食が行なわれることがありますが、西欧ではカウンターでの飲食はほとんどありません。フランス料理にしても料理人は1人で作るのではなく、多人数による分業が多くみられるところです。これは西欧には1対1の対決というもの、これを対峙文化といいましょう、このようなことはあまりないことを示しているような気がします。
日本での対峙文化はほかにもあります。能でのシ手とワキ、茶の湯での亭主と客も1対1の対峙でしょう。私をはじめ多くの日本人はこの対峙文化をこよなく愛していて武道に挑んだりそれを観戦することを好むようです。
そして野球のなかの投手と打者の対決のなかに対峙文化の価値を認めて熱くなるのでしょう。かくのごとく日本野球には優雅で情緒的なところがあるのです。
ちょっと理屈っぽくなりましたが、日本の国民的スポーツと言われている野球の面白さというものをこのような観点から考えてみるのも一興かと思います。
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