星野道夫という人を御存知ですか。もう亡くなられましたが、写真家です。写真家にも色々な方がいますが、動物を中心に自然を撮る写真家です。メディアに度々登場する動物写真家とは違って、人間と自然との共生をテーマに動物や植物、大地を撮っています。アラスカを中心に生活をし、撮影して発表していますが、自然の持つ素晴らしさ、自然への畏敬を文章にもしていますから、文筆家でもあります。
この方が動物あるいは自然写真家となった経緯は次のようなことにありました。
あるとき、確か高校の授業中だったと思いますが、今自分が教室で授業を受けているこの時間、北海道の山の中にいる熊も自然の中で営みをしている。この事実は、人間は自然の一部にすぎない、そして、その熊は自分と同じ時間を共有している。これはなんと神秘的なことであろうか、人間社会のなかで自然の摂理に反した生き方をするよりも、自然を追い求め、そして自然と共生することは意義深く、とても素晴らしい、と感じたのでしょう。
このような経緯は、小説家の池澤夏樹が「旅をした人、星野道夫の生と死」という本の中で書いています。私の理解に間違いがなければ、上記のような説明になるかと思います。
このような生き方を描いたアメリカ映画もあります。
ショーン・ペンという映画監督が作った「イントゥ・ザ・ワイルド」という6,7年前の作品です。ショーン・ペンという人は、俳優でもある多才な方で、その少し後の「ミルコ」という作品に主演し、俳優としてアカデミー賞を受賞しています。又、世界三大映画祭(カンヌ、ヴェネチア、ベルリン)すべてで主演男優賞を受賞しています。優れた俳優でもあるのですね。
「イントゥ・ザ・ワイルド」の主人公は、アメリカの有名大学を首席で卒業したエリートですが、卒業後は経済界などに入らず、自然の中に入って生活することを選びます。そして、自然の中で食物を獲り、生活をしてきましたが、毒草を食べて死んでしまいます。
作者は、自然との共生の素晴らしさとともに、自然の脅威というものも描きたかったのでしょう。
さて、星野道夫氏は、野営中、熊に襲われて亡くなります。
同氏が熊を怒らせたのではなく、別な人たちが怒らせたのです。星野氏は、熊と一緒に自然のなかで生活していくこと、共生していくことを望み、そのような生活を送ってきたわけですから、怒らせるようなことはしません。
あるとき、ロシアだったと思いますが、メディアの撮影クルーが大挙してアラスカに押し寄せ、テレビ受けする映像を撮ることだけを考えて、傍若無人な振る舞いをしました。
自分たち人間のことしか考えていなかったのですね。
このような振る舞いに熊は怒り、暴れることになりました。
このとき、星野氏は近くにテントを張って、自然のなかに溶け込んだ静かな生活をしていたのですが、怒った熊に襲われたのでした。
自分が大切にしていたものが第三者によって台無しにされ、そのあげく命を奪われたのですから、さぞかし無念だったと思います。
人間は決して自然を侮ってはいけない、自然には常に畏敬の念をもって接しなくてはならないということの警鐘のように思えます。
さて話をもとに戻してみたいと思います。星野道夫氏が今、自分が生きているのと同じ時間に熊も生きて営みをしていると想うこの感受性、あるいは想像力は、色々な場面で求められると思います。
例えば今、私が平穏に生活しているその同じ時間に、熊本の被災地では家を失った人達が避難所等で不自由な生活をしている、その人達の思いを具体的に我が身のごとく感じなくてはいけません。
そして、その同じ時間に北朝鮮で拉致された被害者が長い間、無念な想いを抱いたまま、彼の地で生活をしている、その姿を具体的に我が身のごとく感じなくてはならないということも言えます。
このようなことは、米軍基地の負担を長期間押し付けられている沖縄の人達、原発被害の終わりがみえない福島の人達、被爆者やハンセン病の人達への想いにもあてはまります。
この感受性、想像力は、政治家に求められると思います。
政治家がこれを持ち合わせていれば、政治の有り方は人間味のある、もっと血の通ったものに変わっていくだろうと思います。しかし残念ながら、現代の政治家は全くこれを持ち合わせていないと思います。政治家は、このようなものを持ってはいけないと思っているようにすら感じられます。
星野道夫氏は、アラスカの自然を撮った美しい写真集(もちろん文章付)を出しています。興味のある方は、どうぞ御覧になってください。
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