最近思うこと、それは日本という国はおかしくなったなということです。
政治をめぐる状況がその最も顕著な例です。多くの国民がダメと言っている安保関連法案がなぜか成立してしまう。
生涯をかけて研究してきた憲法学者(その方々はまさに憲法においては最高の知性と言っていいでしょう。)がその法案は違憲と言っても最高裁が最高の判断者であり、砂川判決が合憲と言っていると言ってその批判をかわし、その最高裁の元判事が違憲といえば、今では一私人にすぎないと言って、これにも耳をかさず法案を成立させてしまう。又、国会ではまともな議論や説得力のある説明がなされないまま、100時間以上、審議されたから、機は熟したとして採決する、こんな政治が今どきあっていいのでしょうか。
今流行りの表現を借りると、「反知性主義」というほかありません。
憲法を無効化し、国会をないがしろにする、まさに数の暴挙としか言いようがありません。国会は多数決決議だけをする場ではないわけですから、憲法、議会制民主主義が崩壊したといえるでしょう。
歴史を振り返ってみますと、過去にも国民の声に耳をかさずに政府が暴走したことがありました。言うまでもなく、70年以上前の日本を戦争へと押し進めていった為政者たちが取った行動です。この過ちのため、何百万人もの人達が貴い生命をなくしました。一旦はじめた戦争を国民の多くが止めてほしいと思っているのに(当時はなかなか口に出して言えなかったのですが)、早期に終わらせることもしませんでした。
そして、当時の為政者は責任を取ったのでしょうか。ある人は自決し、ある人は極東軍事裁判で処罰されましたが、自ら国民に責任を取った人はいませんでした。多くの人が亡くなった後では責任の取りようもありませんが。
今回の安保関連法案によって、生命をなくす人が出た場合、あるいは国が危うい方向に進んだ場合、安倍さんをはじめ内閣の人達は責任を取るのでしょうか。多分取らないでしょう。
それから、自民党の中からこれはおかしいぞという意見が全く出ないというのも、全く変です。これまでの保守政党である自民党の良さ、これをある識者は「融通無碍なる多様性の収斂」と言っていますが、これも終わったように思います。
昔の総理大臣に宮澤喜一という人がいました。この人は在任中、当時の官房長官(河野洋平氏です)に権力を持つことの恐さを語っています。権力行使を誤れば国益を損ない、多くの国民を不幸にするから、毎日、薄氷の上を歩いているような気分だと語ったそうです。もう1人、それより約10年まえに総理大臣を努めた鈴木善幸氏をめぐる逸話があります。
同氏が総理大臣に就任することが決まったとき、奥さんが番記者に対し、「うちのお父さんが総理大臣になって大丈夫なんでしょうか、もし国や国民の利益に反するようなことをしようとしたら、私に言って頂戴、そのときは私が総理を辞めさせるから。」と言ったそうです。
この人達が総理大臣を努めた頃の自民党はとても謙虚で抑制的だったのでしょうね。
最近の自民党の状況を見ていると、保守政党の崩壊と言わざるを得ないと思います。
なぜ日本がこんな国になったのか、どこに根本的な原因があるのかを次のコラムで歴史を振り返りながら考えてみたいと思います。
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