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2021/02/01 | 弁護士松坂徹也のコラム(39)「志ん生」と「圓生」 |
古今亭志ん生(五代目)(1890年~1973年)、三遊亭圓生(六代目)(1900年~1979年)。 いずれの噺家も落語界の大御所で没後40年以上になりますが、現在その名跡を継いでいる人はいません。 志ん生には、長男の金原亭馬生、二男の古今亭志ん朝がおり、2人とも大変に秀れた噺家ではありますが、「志ん生」を継ぐには至らず、圓生には圓楽、圓窓、圓丈などの高弟がいましたが、だれもこの名跡を継ぐことなく現在に至っています。
この2人はすごい噺家だったのですが、この2人に共通していることは、第二次世界大戦中、満州に渡り、そこで終戦まで活躍したということです。2人は、笑いや娯楽が許されない戦争中の日本に嫌気がさし、単身満州に渡り、そこにいる満蒙開拓団の人達に笑いや娯楽を提供しました。多くの人に芸、笑いを提供したいという本能と軍国主義下の日本で芸人として仕事をすることの困難さにいたたまれず、これに耐えかねての渡満だったのでしょう。戦時中は、芸では稼げず生活苦にあえいでおり、そこからなんとか抜け出し、満州で稼いだお金で家族の生活を支えたいという思いもあったようです。 2人が満州に渡ってまもなくして終戦になり、日本に帰ることになりますが、満州からの引きあげ者の大半は、しばらくの間、長春(日本占領下の満州国時代の地名は新京)や瀋陽(満州国時代の地名は奉天)で過ごし、日本への引きあげ船の乗船を待つことになります。その期間は決して短くはなく、そこでの生活は、特に冬は極寒になりますから、大変厳しいものでした。 このときは、この2人だけではなく慰問などで満州に渡ったまま終戦を迎えた芸人が、厳しい生活に耐えかねている日本人を励ますため、自分達の芸を無償で披露します。後に、無事日本に帰り再び芸人として活躍した人としては、藤山寛美(喜劇女優藤山直美の父親です)、赤木春恵、森光子などがいます。 新京等にいる日本人はお金がありませんから、着物などの所持品を中国人に売って口を糊していましたが、なかなかうまく売ることができません。このようなときはさすが芸人ですね、中国人が買う気になれるよう行商人さながらに芸の力で売りさばいてやったようです。特に藤山寛美の売り方は素晴らしかったと後に森光子が述懐していました。
このような厳しい生活のなかにいる日本人を精神的に支えようと現地にいた宗教家もボランティアとして活動するわけですが、日々の生活に追われ、心がすさんでいる日本人(この中の多くは夫を戦争で亡くしたり、ソ連軍に連行されシベリアに送られたため1人で子供を連れて日本への帰国をめざした婦人が多くいたようです)の心をほぐすことができません。 宗教家の方は、一生懸命になるのですが、なかなかその思いは人々に伝わらず、心を痛めるばかりで暗い気持になります。このとき、志ん生が宗教家の前に現れ、笑いを誘い出します。真面目な宗教家からみれば、この志ん生の振る舞いは全く別世界のものに写ったようで、しばらくはまともに相手にしませんが、そのうち心が通じ合うようになります。 その方々は、ついに笑うことの喜び、笑いがいかに大切か、生きていることに喜びを感じたり心をなごませたり、希望をもって生きていくためには、笑いが必要であるとの思いに至り、その姿勢で帰りを待つ日本人に接するようになり、みんなに余裕が生まれ心が穏やかになります。 このストーリーは井上ひさしの戯曲「志ん生と圓生」の中のものですが、笑いの大切さを表しています。その後、まもなくして志ん生は日本に帰り、圓生は少し遅れて帰りますが、その後の2人の活躍は素晴らしいもので、前述のとおり未だ2人の名跡はだれも継いでいません。上述の戯曲で志ん生を演じたのは、ラサール石井、なかなかの好演でした。
今世界中はコロナ禍の中、出口のみえない暗闇のかなにいますが、必ず終わりは来る、以前と同じような生活に戻れることを信じながら笑いを忘れることのない生き方をしたいものです。
前述の金原亭馬生の長女は女優の池波志乃ですが、二女の美濃部由起子は江戸落語普及会を作り、文筆家として、志ん生、馬生、志ん朝の噺家としての生活ぶりを書いています。志ん生は、超一流の噺家ですが、お金にはあまり執着しなかったようで、又弟子を育てたりするのにお金を注ぎ込んだのでしょう、そして酒、旅など道楽に多少の金をかけたようですから、あまりお金は持っていなかったようです。ですから、上述の美濃部由起子の本の題名も「志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ」(講談社プラスの新書)となっています。この本には、人情味あふれる噺家とそれをとりまく家族や弟子の生活が描かれています。大切なことはお金ではないということ、どんなときでも人間は矜持というものを大切に生きていかなければならないということをつくづく実感させられます。
志ん生が語る大切にしたい生き方のなかには「ヨイショする人生はつまんねえよ」「自分の役目なんざあ、歳とってくると自然とわかるものだよ」「自分の居場所はね、世の中のどこかに必ずみつかるよ」「自分の身体のこたあ、自分が一番よく知っている」「この世では失敗も成功もねえ、しくじったか上出来かだけ」「空気なんざ読まねえで、嘘も方便で生きなよ」というものがありますが、いずれも名言ですね。 |