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2021/02/04 | 弁護士松坂徹也のコラム(40)『「ウィズコロナ」という言葉づかいの浅はかさ』 |
ウィズコロナという表現はどうもおかしい。この表現からは私達人類はいつもコロナとともにある、コロナと共存することを考えなくてはならないというふうに読めますが、それは少し変です。
新型コロナウイルスの第一宿主(自然宿主ともいうようです)はコウモリ、第2宿主はセンザンコウと言われています。センザンコウは中国南部、東南アジア、アフリカに棲息する全身が堅い鱗のようなもので被われた動物です。その鱗が漢方薬として有用などの理由で密猟が絶えないのですが、このセンザンコウが新型コロナウイルスの人間への蔓延の原因ということになるようです。しかし、センザンコウが悪いわけではありません。このセンザンコウを捕獲し、これを自分達の都合にあわせて利用しようとする人間が悪いのです。(因みにセンザンコウはワシントン条約で取引が禁止されています。) このようなことはSARS(正確に言うとSARSコロナウイルス)にもあてはまることで、第1宿主は同じくコウモリ、第2宿主はハクビシンと言われています。ハクビシンは、現在では日本にもいますが、もともとはセンザンコウと同じく中国南部、東南アジアに棲息していた動物です。
これらのウイルスがどうして第2宿主から人間に感染したか、そこが一番の問題です。 家畜やペットは別として、人間と動物との間には常に一定の距離があります。その距離を保って、互いに棲み分けをしているわけですが、その距離が縮まってきますと生態系等が変わってきておかしなことになります。人間社会に熊が出没する姿が最近よく見られますが、これは人間にとって少なからず脅威です。九州では熊は絶滅していますが、それ以外の地域では脅威です。このような例は熊に限らず、猪や鹿や猿にもあります。このような動物が人里におりてきて農作物や家の中を荒らすのです。 この問題は、新型コロナウイルスと人間との関係を考えるうえで大きなヒントを与えてくれます。 なぜこのように動物が人里におりてくるようになったかが問題ですが、1つには、動物が暮らしている森林を人間が乱開発するために食料が不足してやむなく人里におりてくる、もう1つの問題は、人間と動物の間には境界域となる里山がありますが、これが荒れてくるということです。里山は人間の手が入っていますから、動物達はここは人間の生活領域だから入れないという意識を持っています。ところが、最近は里山の管理がされなくなって境界域がなくなり、動物が里山に侵入し、そのまま人里におりてくるようになっています。このように動物達のこの行動の変異、生態系の変異の原因は私達人間にあるのです。 さて、センザンコウやハクビシンはどうでしょうか。これまで人間と両者の間には相当の距離がありました。それが乱開発や商業目的のため距離が縮まってしまったのです。これは全部人間の責任と言わざるを得ません。 人間はこれに反省し、動物との距離がこれ以上縮まないように、本来の姿に戻るようにしなければなりません。そうすることによって、コロナをはじめとするウイルスとの距離を適正に保つことができます。 そうなると我々人間のまわりには動物を宿主とするコロナウイルスはなくなるわけで、それを理想としなければなりません。そうしないと今回のコロナウイルスが終息しても、又次に新たなウイルスが出てきて、今回と同じ事態にさらされることになります。コロナに打ち勝つとか、コロナを克服するとか言うのとは次元が違う問題なのです。この目指す状態はウイルスと人間との距離をきちんととるということですから、ウィズコロナという言葉とは別次元のものです。ウィズコロナという言葉は、問題の本質がわかっていない、その場しのぎの対応と言わざるを得ず、その言葉を平気で使う浅はかな指導的な立場の人がたくさんいることが情けなくなります。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」(これは1963年に録音されたビートルズの初期のアルバムで、ジャケットにはメンバー4人の白黒写真が使われており「オール・マイ・ラヴィング」「プリーズ・ミスター・ポストマン」などが収録されています)は、ビートルズファンの私には大歓迎ですが、「ウィズコロナ」はいただけません。 |