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2021/03/22 | 弁護士松坂徹也のコラム(41)「民主主義のコスト」 |
民主主義のコスト
民主主義が実現されるためには相応のコストが必要です。 まず、その議論の前提には情報が提供されなければなりませんから、その情報を整理し、これを議論の場に提供するためのコストがかかります。そして、情報の提供を受けた者は、これを理解、咀嚼しなければならず、そのためのコストも発生します。 そのうえで、情報を提供した側とされた側、それぞれの熟考と両者間の議論ということになりますから、又、その分コストがかかります。そのうえで結論が出されるもので、要するに民主主義というのは大きなコストがかかるものなのです。 そのコストには多くの人が関わりますから、人的コストがありますが、何と言っても情報提供から結論が出されるまでの間の時間的コストが一番のコストということになるでしょう。中国や北朝鮮はいわゆる民主主義の国ではないようですから、このようなコストは不要で、すぐに物事が決まり実行されます。とても効率がよく、一見、よさそうにみえます。しかし、多くの先進国の人達は、手間や時間がかかってもやっぱり民主主義を支持します。この考え方に異論がある人もいなくはないでしょうが、多くの人達がこのような意見、考え方を持っているといえるでしょう。
要するに、民主主義にはコスト、特に多くの時間的コストがかかるのです。それでも、それ以上に崇高な価値があることを認めて厭うことなく、理想の実現に立ち向かっているのです。
東京オリンピック委員会の前組織委員長の森喜朗氏は、日本オリンピック委員会の臨時評議員会の席上、概ね次のような発言をしました。「女性理事4割というのは文科省がうるさく言うんで」「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性は競争意識が強い」「数を増やす場合は時間も規制しないとなかなか終わらなくて困る」「組織委員会の女性はみんなわきまえておられる」 この発言は女性を蔑視するものでオリンピック精神に反するとして、森喜朗氏は組織委員長を辞任に追い込まれました。 この案件では主に人類の多様性、ジェンダー等の観点から、社会は森氏を厳しく批判したのですが、これにはもう1つ大きな問題点があります。ここで森氏が言いたかったことのなかに、会議に時間がかかると困るという思いがあります。これは何を意味するかというと、会議における時間的コストを減らしたいということです。 上述のとおり、民主主義には時間的コストは必須条件ですから、この発言は民主主義の否定そのものと言わざるを得ません。メディアはそのことの指摘はしませんが、私はこの点を声を大にして言いたいと思います。 それにしても一国の総理大臣であった人が、民主主義を否定するかのような発言をするとは悲しいかぎりです。 このように考え、現在の国会での議員と大臣はじめとする行政側のやりとりをみてみますと、行政側は然るべき答弁をしないため議論の対象になるものについて真の議論がなされていないと言わざるを得ません。理由にならない理由をつけて「お答えは控えさせて頂きます」と答弁にならない答弁を何度もくりかえしています。又、「___と承知しています」「___と聞いています」「___と報告を受けています」と人ごとのような答えで逃げ切ってしまうことが頻繁にあります。例えば、承知とはその字が示すとおり、人から事実関係や意見等を承って現在そのことを知っているというものにすぎません。 これらの対応は、承知したこと、聞いたことについて自ら事実関係を確認したり、その当否を検証したり、今後の対応を検討したりということをしていない、今後もしない、という全くもって無責任な態度です。このような態度を示されると、その先の議論へと発展しません。これでは質問者である野党議員の国会での活動の場がなくなってしまいます。野党の支持率が上がらないのは、野党の責任もありますが、このように活性化しない国会にもその原因があるような気がします。最近の国会では、予定の時間より早く終了することがしばしばあります。時間が足りないというのではなく、余ってしまうということです。その原因は、このようなことにもあるのかもしれません。要するに、時間的コストがかけられていないのです。国権の最高機関であり、まさに民主主義実現の場である国会での質疑は残念ながらこのような有様です。 総理大臣の記者会見にも同じような問題があります。記者は国民に代わって質問をするわけですから、この質疑応答にも民主主義的対応が求められます。しかし、最近の記者会見は次の予定が入っているなどと言って、十分な質疑応答をしないで打切られることが多くみられます。これは重要な時間的コストのカットです。 民主主義のコストカットはダメです。必要な時間的コストがかけられてこそ民主主義なのです。民主主義を崩壊させないためにもこのあたりはしっかりと改善されなければなりません。
まさか為政者は「民に由らしむべし、知らしむべかざる」とは思ってないでしょうね。 |