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2021/03/22 | 弁護士松坂徹也のコラム(42)「半藤一利氏、保阪正康氏そして加藤陽子氏」 |
半藤一利氏、保阪正康氏そして加藤陽子氏 半藤一利氏、保阪正康氏、加藤陽子氏はいずれも主に昭和史を中心に研究されている(半藤氏については過去形になってしまいました)方です。もう少し細かく分類すると、半藤氏は、氏の言葉を借りれば歴史探偵、保阪氏は歴史研究家、加藤氏は歴史学者ということになるでしょう。 この方々の共通項は昭和20年まで日本が行ってきたこと、その過ち、それに至った原因を明らかにしていることにあると思います。代表的な著書に半藤氏「日本のいちばん長い日」「昭和史」「ノモンハンの夏」、保阪氏「あの戦争は何だったのか-大人のための歴史教科書」「あの戦争から何を学ぶか」、加藤氏「それでも日本人は「戦争」を選んだ」があります。 半藤氏は明治維新のことを昭和史と同じような切り口で書いていますが、明治維新史という表題は使わずにあえて「幕末史」という表題にしています。その意図するところは、この政変は新しい政治的理念に基づいてなされたというよりも、国を統治する能力を失って、倒れるべくして倒れた幕府の姿をあぶり出し、それゆえ新しく樹立された明治政府の政治理念は維新というほどのものではなかったことを言いたかったようです。最悪の昭和史前半(昭和20年まで)は、明治政府が作りあげた民主主義に基づかない国家観の延長であったとも言いたかったのでしょう。因みに、明治政府の誕生について多くの市井の人達は「維新」とは言わず、「御一新」と言っていました。 半藤氏は歴史探偵ですから、探った歴史を読者(国民)にわかりやすく書くように努力されました。氏と同世代の作家井上ひさし氏の小説や戯曲執筆にあたって氏が最も大切にしていたこと「むずかしいことをやさしく、やさしいことはふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」を座右の銘にしていたようでした。半藤氏の遺稿にもそのことが書かれています。 氏は歴史探偵という視点のもと問題を深く深く掘り下げ、細かいことまで微に入り、細に入り書きます。又、過去の事実を主観を交えることなく、あくまでも客観的に表現します。しかし、晩年は自身の経験に基づいた私的な意見を書くようになりました。氏は少年時代、東京大空襲を経験し生死をさまよいました。東京大空襲は昭和20年3月10日、下町を中心に大量の焼夷弾が落とされ、一夜にして10万人の人達が死亡したのですが、そのとき千駄木に住んでいた一利少年は逃げまどい、死を身近に感じた体験をしています。 氏は、そのときの恐怖から得た戦争は絶対にしてはいけないという思いを晩年筆にするようになりました。このことについて氏と親交が深かった保阪正康氏は、戦争の悲惨さの実体験をした者がいなくなってくるからあえて書くようにしたと聞かされたと述べています。
保阪正康氏、氏は昭和史に登場する重要な人物を徹底的に研究し、政治や社会に果たした役割を描くことにも重点を置いています。「昭和の怪物七つの謎」はその代表的な作品といえるでしょう。 氏は、半藤一利氏より約10歳年下ですから、今後の執筆に期待すること大です。それでも、氏は80歳くらいになりますが執筆意欲はまだ衰えを知りません。今後も精力的な研究と執筆がなされるでしょう。 加藤陽子氏、氏は東京大学の現役教授です。氏が高校の歴史部の生徒に日本が太平洋戦争に至るまでの経緯を説明し、起こった事象ごとになぜそんなことになったのか、それを避けることができなかったのかを生徒に考えさせ答えさせるという手法で「それでも日本人は「戦争」を選んだ」という本を出版しています。又、その続編のようなものとして同じ手法で出版した「戦争まで」という本もあります。「満州事変から日中戦争へ」等、数々の書物で知的かつ冷静な昭和前期の歴史の分析をしています。 氏は研究者、学者ですから歴史の客観的事実の紹介、事実に基づく合理的な事実の推論に徹し、主観や個人的意見を述べることは極力控えています。読者からすると物足りない感じもしますし、もっと意見を言ってほしいと思いますが、研究者、学者に徹しきっているといえるでしょう。
このように表現や主張に抑制的な加藤陽子氏までもがなぜ日本学術会議の会員になることを菅総理によって拒否されたのでしょうか。どうかしているとしか言いようがありません。菅総理は、この問題についての国会での質問に何の答弁もしません。この菅総理の国会対応について、朝日新聞論説委員の高橋純子氏(氏はTBSのサンデーモーニングに時々出演されています)は紙上で次のように述べています。「国会での議員の質問とそれに答える大臣とのやりとりはテニスのようなものだ。議員の質問と大臣の応答は、テニスのラリーのようなもの、議員の強いボールに対し、大臣は負けじとこれを打ち返すというものだ。しかし、菅総理はコートにラケットを持たずに現れ、打たれた球から身をかわして逃げまわる。テニスではなくて、ドッジボールをしている」と言っています。因みに「ドッジ(dodge)」は「身をかわす」という意味であると述べています。言い得て妙ですね。
半藤一利氏の話に戻りますが、氏はなかなかの歌人でもありました。与謝野晶子の孫弟子だったとのこと。このことはあまり知られていませんが、氏がかもし出す優雅な雰囲気にその片鱗が感じられる気がします。因みに、同氏の妻、半藤末利子氏は、随筆家で数多くの本を出していますが、夏目漱石の孫です。そのようなことから、半藤氏は、晩年漱石のことも書いています。日本の歴史を忠実に研究し、これを世に問う人又このような書物を読んで歴史を学ぶ人が減ってくることは悲しいことです。歴史に学ぶこと、歴史から反省することこそが世の中をよくするための必須条件なのですから。 |