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2017/06/13 | 弁護士松坂徹也のコラム(22)「尋ね人の時間」 |
尋ね人の時間
昭和20年代のNHKのラジオ放送に、「尋ね人の時間」という番組がありました。御存知でしょうか。 私は小学校の頃聴いた記憶がかすかにありますが、おそらく昭和25年以降にお生まれの方はリアルタイムでお聴きになってはいないと思います。 番組の内容は、戦争で家族と離ればなれになった人が両親や子をさがすべく、離れてしまった場所やそのときの状況を説明して、情報の提供や本人の名乗り出を求めるものです。私の不確かな記憶ですが、「…さん、あなたのお母さんがあなたを捜しています。…」「私の子を捜しています。…で離ればなれになりました。現在○才で、身体には…の特徴があります」というような放送だったと思います。 この放送の効果は大きく、それによって多くの家族が再会できたと聞いています。この番組に取り組んだスタッフの熱意が実ったのですね。 先日「こまつ座」の公演「私は誰でしょう」を見て来ました。もちろん作者は井上ひさしです。 この演劇は「尋ね人の時間」に取り組んだ人達を主人公にしています。登場人物は番組ディレクターやアナウンサー等のスタッフ、GHQの職員である日系2世の米軍将校でした。 当時、NHKはGHQの監督下にありましたから、GHQから見て不適正な報道とならないよう米軍将校が監視にあたるのです。(因みにNHKは戦争中は内閣情報局の監督下にありました。) この演劇の前半は番組スタッフの番組への熱意や奮闘ぶり、それに対する米軍将校の理解が描かれていますが、後半はがらりと変わります。 この番組では当初、広島、長崎の被爆者家族からの「尋ね人」放送依頼を無視してきました。しかし後にそのことを問題視します。GHQは原爆被害の事実を電波に乗せることを禁止しており、番組スタッフはそれを知っていますから無視してきたのですが、これは間違っている、なんとかしてオンエアーしなければならないと改めて考えるようになり、それを試みようとします。 因みにGHQは「東京大空襲」という言葉を使うことも禁止していたようです。米軍が東京を空襲し、一夜にして10万人の民間人の命を奪ったことを明るみにしたくなかったのでしょう。正確かどうかわかりませんが、「東京爆撃」というような表現にさせたらしいです。いつの時代でも権力者に都合の悪い報道には圧力がかかるのですね。 当時GHQの本部は、皇居の濠に面した第一生命ビル(現在でもこのビルは一部高層化されて存在しています)内にありまた。それででしょうか、GHQの最高司令官マッカーサー元師は濠端天皇と言われていたそうです。その近くにある帝国ホテルは一時期GHQに接収されて、将校の宿舎となっていました。 「尋ね人の時間」の番組スタッフは、何としてでも原爆の被害者家族が再会できるような放送をしなければならないと考え、色々と工夫します。しかしそこにはGHQという大きな壁が立ちはだかりますから簡単ではありません。 そのとき、GHQの米軍将校はスタッフの熱意や放送の重みを強く感じ、自身に不利益が生じることを覚悟の上放送を許可し、遂にオンエアーとなりました。 演劇ではそのときの緊迫感、高揚感がクライマックスに達し、観客に大いなる感動を与えました。演劇の素晴らしさを感じさせられましたが、演じた俳優は番組ディレクター役が元宝塚トップスターの朝海ひかる、日系2世のGHQ将校役が吉田栄作でした。(朝海ひかるは「こまつ座」の常連、吉田栄作は最近舞台に出るようになりました。吉田栄作はテレビ映画出身ですから、声量にやや問題がありますが、なかなかの好演でした。) この演劇ではその後すぐにこの2人がGHQに逮捕され、それで終わります。作者が描きたかったのは自分を賭して権力に立ち向かう放送人の矜持だったのでしょう。 現在メディアに携わる人にも是非見てもらいたいと思いました。 |