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2018/06/11 | 弁護士松坂徹也のコラム(30)「ハラスメント」 |
ハラスメント 最近、顧問先の会社などからパワーハラスメント、セクシャルハラスメントについて講演してほしいという依頼がよくあります。 会社のなかでハラスメントによる被害や職場環境の悪化が起っているので、それへの対応に真剣に取り組もうということなのでしょう。このことは高く評価できると思います。 ハラスメントはすぐれて労働問題です。 ハラスメントの被害を受けた人は職場で精神的に大きな打撃を受けますから、今後の仕事の継続に差しさわりがでてきます。この場合、被害者にはその事を糾弾して被害を回復したり、二度とこのようなことが起らないような対抗措置をとる途がなくはないですが、実際にはほとんどの被害者はそれをしません。 というよりは、することができないのです。被害を受ける人は弱い立場の人ですから強い人を相手にこのようなことはできませんし、糾弾することによって生じる二次被害のことも考えます。 ですから、被害者は被害にあったことをだれに話すこともせず心のうちにかかえ込むことになり、職場に行くのがいやになったり、心が病んだりします。 そして、被害者はこの苦しみから逃れるために仕方なく仕事を辞める道を選ばざるを得なくなります。 せっかく確保できた職場、そこで働くことに喜びを感じていた職場を失うことになってしまいます。このようにこのハラスメントは労働問題、働く人の権利にかかわる問題なのです。 男女雇用機会均等法という法律があります。 この法律は、労働者を採用するにあたり男女の差別をなくしましょうということを主目的として昭和47年に制定された法律ですがその後、何度も改正され、職場でセクシャルハラスメントが起らないよう、事業主は取り組まなければならないという規定も設けられるようになりました。そして具体的な指針も定められました。 それでも、職場でのハラスメントは跡を絶たずなかなか撲滅されません。その原因は何なのでしょうか。 ハラスメントを行う人の心のあり方について考えてみたいと思います。 一つは人間の支配欲の問題だと思います。 人間にはだれにでも心の奥底に支配欲というものがひそんでいます。その欲は相手が強い者の場合には鳴りを潜めますが弱い者に対しては出て来ます。男は女に対して、上司は部下に対し、大学教授の場合は准教授以下の研究者に対し、大人は子どもに対し、壮健な人は病人やお年寄に対して支配欲が出てきます。学校(教師)と生徒、大会社と零細な会社、元請と下請の関係も同じでしょう。学校や職場でのいじめも根底にあるのは、この支配欲によるものと思います。 もう一つは人権意識の問題だと思います。 人権とは日本国憲法に定められている思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由などの基本的人権が典型的なもので、それらは保護されなければならない、侵害してはいけないというものですが、その根底にある本質のようなもの(それをあえて人権意識といいますが)について考えてみたいと思います。 人権意識とは自分のまわりにいる人達をひとりひとり考え方や感じ方が違う生身の人間として尊重する、大切にするということではないでしょうか。 職場でみんながそのような意識をもって同僚や部下に接していればハラスメントは起きないと思います。そのような意識を持つことが人間にある支配欲を抑止するものだと思います。同じ職場で働く人達はみんな、その職場の目的地へ向う船のクルーという意識が必要でしょう。クルーはみんなそれぞれに重要な役割を担っていて1人でも欠けるとその船は目的地には着きません。 それでももしハラスメントが起ってしまったらどうするか、これも重要な問題で職場の責任者の取り組む姿勢や行動が問われることになります。 被害を受けた人がすぐにかけこんで相談できる相談窓口が設けられていなければなりませんし、被害の事実を告発するための内部通報制度を確立しておく必要があります。これらは再発防止のためにも必要なことです。ここで大切なことは被害者を守ること、被害者のプライバシーの保護にあたるということです。 アメリカでは最近「#MeToo」というセクハラ被害撲滅運動が起っています。これまで立派な実績を残した著名女優やオペラ歌手が過去のセクハラ被害を明らかにし、今後二度とこのようなことが起らないようにしようとする運動です。 個人としての権利意識が強いアメリカという国でも、セクシャルハラスメントが行なわれ被害女性はそれを明らかにすることができなかったのですね。この事実はいかに加害者の支配欲が強かったか、(加害者は映画製作者や指揮者など絶大な力を持っていた人達です。)被害者はいかに著名な人でもこの支配欲に抗うことができず屈するしかなかったということを如実に示しています。ですから前に述べたような人権意識を持つという、人間ひとりひとりの意識改革が必要ですしそれがされないかぎりハラスメントはなくなりません。又、日本の場合、ハラスメントはある程度我慢しなければならないというような組織文化があります。これも正していかなければならないでしょう。 職場で自分のしていることがハラスメントにあたるかどうかを考えるとき、その様子を妻あるいは夫や子供たちがみたらどう感じるだろうかということに思いを巡らせば、答えはおのずから出てくると思います。 このようなことを考えながら財務事務次官の女性記者に対するセクシャルハラスメント、そのことに対する財務大臣の対応をみていると彼らはハラスメントにある様々な問題点を何も分かっていないと唖然とするばかりです。 |