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2018/07/30 | 弁護士松坂徹也のコラム(31)「雨ニモマケズ」 |
雨ニモマケズ 宮澤賢治の父、宮澤政次郎を主人公として家族を描いた小説「銀河鉄道の父」を読みました。門井慶喜の作で第158回直木賞を受賞した作品です。 政次郎の子に対する想いは強烈で自分のすべてをかけ、ときには命をもかけて子達を守ります。賢治が病気で入院したときには退院できるまで病院に泊り込んで愛情のこもった看病をしますし、そのあげく、自身もその病気に罹患します。賢治も妹トシの病気のときには同じような看病をし、トシが亡くなったときは押し入れに顔を入れて号泣しました。 一方で父子の対立もすさまじく、特にどちらも宗教に対する信心、思い入れが激しいことから浄土真宗の政次郎と日蓮宗の賢治は激しく対立します。 このように宮澤家は強烈な家族で、そこで生まれてきたものが賢治の多様で魅力的な童話や詩を生む力となったのでしょう。 賢治の作品には「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」などファンタジックで難解なものもありますが、私が最近弁護士として興味を抱いているのが「雨ニモマケズ」という詩です。とても有名な詩ですがあらためて以下全文を示します。
雨ニモマケズ 南無無辺行菩薩
私が関心を持った箇所は「東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば行って恐がらなくてもいいといい」という部分です。 困っている人への心からの思いやりが示されていますが、大事なことはただ思いやるだけでなく実際に困っている人のところまで足を運んで思いやりをつくすというものです。いずれにも「行って」という言葉で表現されています。ここまでできる人はなかなかいません。 弁護士の仕事は困っている人、悩んでいる人、行きづまっている人を助けることにあります。私もその思いで毎日仕事に励んでいますが、相談者や依頼者には事務所に来てもらっています。こちらから出向くことは滅多にありません。「行って」ということはほとんどないのです。 このような私達多くの弁護士の対応は宮澤賢治的ではありません。 実際問題として多くの事件をかかえて忙しくしていますし、裁判所等に頻繁に出かけますから「行って」を実現することは困難に近いです。しかし事務所に来て頂くのは当然と思うのではなく常に「行って」という思いで相談者、依頼者と接したいと思います。 もう1つの関心事はその次に書かれている「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」という部分です。 訴訟にたずさわっている弁護士としてはこの「つまらないからやめろ」という表現には抵抗を感じますし、この部分にだけ「行って」がない、すなわち行く必要すらないかのような表現にショックを受けます。 そこで色々と考えたのですがこの詩が作られたのは1931年(昭和6年)です。大正時代の後半は考えられないぐらい訴訟が多かったのです。そしてその大半はいわゆる訴訟する必要性に欠ける濫訴であったようです。なぜこの時代に多くの国民が訴訟提起に走ったのかはよくわかりませんが大正時代は国民が新しい時代の到来を身をもって感じたこと、そして明治時代のように大きな戦争のないしばし平和な時代だったことから、自身の権利主張をしてみようという思いを多くの人が持ったことによるものかもしれません。 そのようなわけでこの時代の訴訟にはつまらないものが多かったのでしょう。訴訟がつまらないものではない今の時代に宮澤賢治が生きていたら「北に喧嘩や訴訟があれば争いはできるだけ早めにしかも円満に話し合いで解決したほうがいい、どうしても白か黒かの決着をつける必要があれば言い分をよく聞いてくれて、最後まで一生懸命頑張ってくれる弁護士に頼めばいい」ということになるのではないでしょうか。
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