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2018/08/15 | 弁護士松坂徹也のコラム(33)「明治150年(その2)」 |
明治150年(その2) 明治、大正に続く昭和について、明治維新からの連続性という点も頭に入れながら考えてみたいと思います。
本論に入る前に、今から50年前の1968年、明治100年のことを思い出してみます。 この年は1964年の東京オリンピックから4年後、私は大学4年生でした。 東海道新幹線が開業して満4年が経過し、世の中では多くの大学で学園紛争が起こり、東京大学では翌年の入試がありませんでした。 福岡市では城内に現在の裁判所が竣工した年で、(それから50年後の今年8月に六本松に移転します。)この年に私は司法試験に無事合格いたしました。 巷では明治100年の記念すべき年だから今年はそのお祝いで司法試験合格者数は例年よりぐっと多くなるとの根拠のない噂が出され、それを信じて勉学に励みましたが合格者の数は例年どおりでした。 この年の内閣総理大臣は安倍総理の大おじの佐藤栄作でした。 因みに、明治50年のときの内閣総理大臣は寺内正毅で長州出身の元陸軍大臣、節目の総理大臣はすべて山口県(長州)出身なのですね。 長州を中心とする明治維新の流れはずっと続いているような気がしなくもありません。
さてこれからが本論ですが、昭和の時代の前半は戦争につぐ戦争、軍備拡大、帝国主義的な他国の支配、国内ではすさまじい思想言論の弾圧の時代でした。 よくもここまで酷いことが、長きにわたって行なわれてきたなと思うと愕然とするばかりです。 このような正義に反する事態が長く続くわけはありません。 昭和20年、遂にこれまで良くも悪くも長い年月をかけて作りあげてきた日本という国は瓦解してしまいます。 当然と言えば当然のことでしょう。 しかしその後、日本は関東大震災の後と同じようにまたたく間に復興し、現在の繁栄の基礎ができあがりました。 復興にはお金がかかりますが、そのうちのかなりの額は煙草の税金でまかなわれたようです。 またも日本専売公社の出番です。 当時のスローガンは「煙草を吸って復興させよう」でしたし、昭和20年代の映画で私がよく観た(最近DVDを借りて観たものですが)小津安二郎監督の作品の多くでは、映画のなかで登場人物が皆、煙草をたくさん吸っていました。 このように日本の戦後はハードの面では完全に甦ったのでした。
それではソフト面、すなわち思想や感性の面ではどうだったのでしょうか。 この面で甦るためにはこれまでの軍拡、戦争、帝国主義、弾圧を反省することから始めなければなりません。 新たに制定された日本国憲法はこの反省に大きく寄与します。 日本国憲法の柱は戦争放棄、戦力不保持、民主主義、立憲主義の確立、基本的人権の擁護ですから、この憲法は新しい国を作るためには理想的なものでした。 このようにして日本はゼロから新しい国づくりに取り組んだのです。 このころ私はまだ生まれていませんから、日本再生を願う人々がどんな思いでいたのかを身をもって感じたものではありませんが、未来に大きな希望を抱いた人は少なからずいたはずです。 ところがその後、米ソ冷戦、朝鮮戦争、日米安保条約などにより思わぬ方向に進んでしまいました。 せっかく理想的な憲法が出来たのに、理想的な国づくりは思うように進みませんでした。 現在の日本の状況はこの延長線上にあるのでしょう。 このように理想の国づくりとならなかった理由には上記のような事態のほかにもっと根本的な問題があるような気がします。 せっかく理想的な憲法が制定されたのに私達日本人一人一人、あるいは国の重要な役割を担う人達がこれまでの誤ちをきちんと認識し本当に反省しなかったのではないか、失敗から学ばなくてはならないという発想で本当に反省し、これまでとは全く違う新しい国を作ろうという意欲を持っていなかったのではないかという問題です。
先日、新国立劇場で演劇「夢の裂け目」を観てきました。 井上ひさし作で、東京裁判三部作の第一作目です。 主人公は段田安則演じる東京の下町、根津の紙芝居屋が、東京裁判の検察側証人として出廷を求められます。 紙芝居業界が紙芝居を利用して子供達に戦意昴揚や軍国主義精神を植えつけに励んだことを問題にするというのです。 この主人公は東京裁判の証人として証言したことが新聞等で報道されたため一躍、時の人となったことに有頂天になりました。 しかしその主人公は、得意とする古典的な紙芝居作品「満月狸ばやし」のなかにある狸の国の殿様が隣国を攻め込んで敗退したことについて、殿様に責めが及ばないよう戦いを煽ったのは家老である自分の企みと一身に罪を引き受け、一方で本当に責任がある者は何のとがめも受けず反省もしないという紙芝居を思い出し、東京裁判もそうではないかと思うようになります。 東京裁判は日本という国を誤った方向に持っていった真の責任を明らかにせず、東條英機一人が悪いんだ、それですべてを終わらせようというもので(東京裁判に決着をつけて、来るべきソ連との冷戦へ早く備えたいとする)GHQも同じように考えていると気づいたのです。 そしてその主人公はある大学の集会で「満月狸ばやし」を上演しつつ、この考えを度々述べます。 そして遂にGHQに拘束されてしまいます。 演劇はそれで終わりますが、井上ひさしが言いたかったことは愚かな戦争をし多くの国民を不幸にさせたのは当時の一握りの軍人や政治家だけではなく、明治以降の国づくりに多くの誤りがあり、多くの国民は戦果を伝える大本営発表の都度、提灯行列をするなどそれに乗せられ踊ってきた。新聞はそれを煽ってきた。 このようなことをしっかりと認識して反省し、新しい国をつくっていかなければ、何もならない。 そうしないといずれ戦前、戦中のような国になってしまうということではなかったかと思います。
敗戦を機に日本国憲法が制定され日本は理想の国を目指して出発しましたがその後どうでしょうか。 現在はどうでしょうか。 言うまでもなく現在の日本は新しい国づくりを目指したときの状況から大きく変わっています。 憲法9条の解釈を閣議決定で変更したり、軍備を拡大すべく9条を変更しようとしています。 立憲主義もないがしろにされていますし、「日本を取り戻す」などとあたかも昔の日本に戻りたいかのような発言も相次いでいます。 日本の再生にあたった人達に真の反省があったのか疑問ですし、新しい世代の人達もこれまで辿ってきた日本の近代史について十分に認識していないのでしょう。 東京裁判では「大日本帝国」の「日本人」であった朝鮮半島出身の軍人や軍属が日本軍に協力したとして裁かれ、そのうち23人が処刑されました。 一方で彼らは戦後「日本人」ではなくなりましたから、日本政府から戦後の補償や支援は全く受けられませんでした。 不条理極まりないと思います。
余談ですが、戦争犯罪者の一人である東條英機は東京で生まれ育ちましたが、その父は岩手県盛岡市の出身、満州事変、満州国建国の立役者と言われた関東軍参謀長の板垣征四郎も同じ盛岡市の出身、そしてそれを支えた関東軍作戦参謀の石原莞爾は山形県鶴岡市の出身です。 この3人の出自は戊辰戦争の奥羽越列藩同盟の人達に行きつきますが、それらの人達は明治以降本流として日本を動かしてきた長州、薩摩出身者とは別の流れで、日本の中枢には位置していなかったと思われます。 東京裁判では真の責任者が裁かれたのでしょうか。 因みに安倍総理の祖父岸信介元総理大臣は元官僚で太平洋戦争開戦時の東條内閣の閣僚であったことから、東京裁判ではA級戦犯被疑者として逮捕されましたが起訴されることなく東條らA級戦犯処刑の翌日、巣鴨プリズンから釈放されました。 |