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2020/10/12 | 弁護士松坂徹也のコラム(35)「今の日本、なにかがおかしい」 |
今の日本、なにかがおかしい 1.新型コロナウイルス、先が見えず日本中の人達が不自由と不安の中にいます。この先どうなるのでしょうか。 この問題に対し政府は国民のために最大限の努力をしなければなりませんが、一番大切なことは国民一人ひとりのことを考えて命や生活、暮らしを守ることだと思います。 この国民とは日々人間として生活し、喜びや苦しみ、悲しみを味わう営みを続けている生身の人達のことです。そのような人達を守るということが今一番大切なのではないでしょうか。 しかし政府の今回の対応や施策はどうみてもそうなっているとは思えません。国民一人ひとりよりも日本全体、日本の経済、大企業、そして政権を守ることの方が優先順位としては上位と考えているとしか思えません。国民に対する自粛の要請、必要性について根拠のない一斉休校、布マスクの無料配布、新しい生活様式の半強制、一方でGoToキャンペーンはまさにそれでしょう。そして国民は黙って従い、それに対し表だって異を唱えません。この姿を日本モデルだとか、日本人は民度が高いとかいう政治家がいますが、おかしな意見です。日本人は政府の決めたことには逆らわないから、政府はそれにあぐらをかいて真に国民のためになる施策を行っていないというのが現状でしょう。 このような国と国民との関係は新型コロナウイルスへの対応ではじめて出てきた問題ではなく、これまで多くの局面に表れていました。 なぜ日本では国家が国民より上位という考え方が一般的なのでしょうか。その原因はどこにあるのでしょうか。この問題を解き明かすための重要な論点は国民主権、基本的人権の尊重、民主主義の大切さを国民、権力者がそれぞれ本当に理解しているかにあると思います。 それを明らかにするためには現在の日本の礎を作った明治維新、明治政府による国づくりに遡ってみる必要があります。 2.明治政府がはじめに取り組んだことは国を強くすることでした。 いわゆる「富国強兵」というものですね。 黒船以来の欧米の力に学ぶため岩倉視察団は長きにわたって欧米を視察し、科学、重工業や建築等の凄さ、軍事力の強大さに度肝を抜かれ、それに少しでも近づくべく、重厚長大産業、軍事力の強化に励みました。 この軍事力の強化は、戊辰戦争や不平士族が起こした反乱(その代表的なものは西南戦争ですが、ほかにも佐賀の乱、秋月の乱、萩の乱などがあります)の制圧でその基礎を固めました。 このようにして強力になった日本の軍隊、その中枢は薩長が占めていましたが、その後日清戦争で中国(清)に進出し、後に日露戦争につながっていきます。 一方で自由民権運動も起こりました。明治政府から離れ下野した板垣退助(この人は戊辰戦争のなかでも凄絶を極めた会津戦争の官軍の司令官の一人でした)らは国会開設、憲法制定を求める自由民権運動を日本各地で起こし、国民のある程度の賛同を得ましたが、そのうち国の弾圧もはじまり大きな力とはなりませんでした。 明治政府が行ってきたのは国の力を強くすることでした。国の力こそがすべてであり、そのなかで国民一人ひとりの権利はないがしろにされてきました。 第2次世界大戦で多くの日本人の命が無残にも失われたのも、その背景にはこのような思想や考え方があると思います。 それではなぜこのようなことになったのか、国民が国の主役であること、その国民の権利は守られなくてはならないこと、国の取り決めは国民の総意によってなされなければならないこと、これは国民主権、基本的人権の擁護、民主主義ということですが、日本はこれが先進国に比べてはるかに劣っているということです。問題はその原因がどこにあるのかです。 私は明治政府の国づくりにこそが問題であると思います。 明治政府は欧米の科学や軍事、鉄道、建築物にのみ目を奪われ、目にはみえない欧米が大切にしてきた、そしてそれが国づくりの基礎となっていた国民主権、基本的人権、民主主義というものの大切さを国に持ち込まなかったのです。それゆえそれらを国づくり基礎にしませんでした。そこが一番の問題だと思います。明治政府は強い軍隊を作るため何をしたか、人間誰しも自分の生命が大切ですから、戦争には行きたくないし、戦場に行っても危ないところは避けたいものです。ですから何もしないと兵士が弱腰になりあまり強い軍隊にはなりません。 そこで明治政府は何を考えたか。それは天皇と国旗の活用でした。天皇を神格化し、国民に神天皇のため国旗のもと戦えというものでした。そしてそれに従う国民によって強力な軍隊が出来上がりました。明治天皇崩御のときの陸軍大将乃木希典の自刃はこのことを物語っていると思います。井上ひさし作の演劇、「日本しみじみ乃木大将」はこのことを皮肉たっぷりに描いています。 この強力な軍隊を作るということと、人間としての人権意識、民主主義とは真逆です。人間一人ひとりの生命を大切にしていては強い軍隊は作れませんからね。 スティーブン・スピルバーグの映画に「プライベートライアン」というのがあります。この映画の主題は4人の男の子のうち3人を戦死で失った母親のため、ノルマンジー上陸作戦の激戦地にいる四男を救出し、アメリカに帰すという内容の映画です。救出隊の隊長をトム・ハンクス、救出される四男をマット・デイモンが演じています。スピルバーグのこの映画で、アメリカという国は兵士一人ひとりを大事にしてきたということを描きたかったのでしょう。 以上からわかるとおり日本は国民一人ひとりよりも国家、そしてそれを支えている大企業、経済を大切にしてきたと言わざるを得ません。 そして日本人は真の基本的人権や民主主義の大切さを身に付けることができず、国に対して抗うことをせず、漫然と生きてきたのです。 新型コロナウイルスの対応について各国の首脳が国民を主権者として尊重して訴えかけている姿勢と、日本の総理大臣が国民一人ひとりをいつくしむことなく原稿を棒読みしている姿とを対比するとその違いはあまりにも大きなものがあります。 このように日本は国民主権、基本的人権、民主主義の点では未だ後進国と言わざるを得ません。 このままだと悲しいことですが、日本、日本人の将来が思いやられます。 |