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2021/06/29 | 弁護士松坂徹也のコラム(44)「豪雨と洪水と日本」 |
豪雨と洪水と日本
気候変動による多種、多様な被害が世界中に蔓延しています。大雨による洪水、大雪、山火事、大地の砂漠化などです。バッタの異常発生、海水温の上昇、これによる不漁なども気候変動によるものでしょう。 気候変動は、温室効果ガスによる地球温暖化が原因ですから、なんとしてでもこれを止めなければなりません。脱炭素もその1つですし、二酸化炭素を吸収する森林復活もその一助となるでしょう。 今回はわが国が毎年直面している気候変動による豪雨、洪水を考えてみたいと思います。 「治山・治水」これは、日本にとって古くからのテーマでした。日本の国土の特徴は、山が高くて険しい、いわゆる急峻状態にあること、一方で国土が狭く海に囲まれているため、川の長さは短く、すぐに海に達してしまうこと、しかもその川は急峻なところを流れていくため速度が速いこと、川幅が狭いこと、気候は温帯であるものの雨が多く、急に川の水量が多くなることにあります。 これは何を意味するかというと、ひとたび激しい雨が降ったり、長雨が続いたりすると、いたるところで洪水になってしまうということです。川幅が広く、川の長さが長いところでは、川の水はたゆたゆと流れているため、多少の雨が降っても問題にはなりません。ヨーロッパに流れているドナウ川、ライン川などの悠々とした川の流れをみればその違いはわかります。 日本の場合、激しい雨が降るとその雨は高い山から一気に早いスピードで下流に流れ落ち、そのまま海に達してしまいます。そして、その間に周辺の土地や山を荒らしてしまいます。そのような川は、その激しさを表すため言葉として暴れ川と言われ、利根川を坂東太郎、筑後川を筑紫次郎、吉野川を四国三郎と言ったりしていました。 そこで、日本ではこれまでこの暴れ川をコントロールし、山や水を守るための数々の施策が行われてきました。これを「治山・治水」といいますが、歴史を遡ると戦国時代から、例えば武田信玄や加藤清正は堤を作って水のエネルギーを弱めてきましたし、江戸時代にも多く為政者がこれに取り組んできました。 水路が整備された江戸時代の日本は、百姓がつくる米が国の経済的基盤でしたから、水飢饉とともに洪水による災害は何としても防がなくてはならなかったのでしょう。この「治山・治水」は明治以降も続けられなんとかコントロールしながら今日に至っているもので、日本のこれまでの労苦は世界に例をみないものでした。 しかし、最近の豪雨の凄まじさはこれまでとは違った様相を呈します。毎年の梅雨時期の豪雨、洪水はこれまでに経験したことがないような凄さで各地に多くの被害をもたらしています。一昔前の被害とはケタが違くように思われます。これまでの長年にわたる治山、治水策で築きあげてきたものがもはや通用しなくなっているということを思わせる事態です。その原因が、気候変動にあることは明らかです。 そして、地球温暖化こそなんとかしなければなりません。これは世界中に投げかけられたテーマですが、とりわけ日本にとっては重大な問題です。そのための一つの方策が脱炭素ということになるのでしょう。この脱炭素への取り組みは世界中で行われており、日本もこれに同調していますが、その取組み方は及び腰で強い意思が感じられません。COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)では、この日本の態度に事の重大さ、問題の本質がわかっていないと皮肉交じりの批判が示されています。 冒頭にも述べましたが、日本の国土の特徴や気候、風土からすると地球温暖化による気候変動の影響、被害は先進国のなかでは日本が一番深刻です。このままでは、豪雨や洪水はますますひどくなり、川の氾濫による農作物への被害、周辺住民の生命、住宅(この住宅にはマンションも含まれます)の被害は増すばかりです。 山を切り開いて開発した住宅への地すべり、被害も多くなるでしょう。これらのことに問題意識をもって早く取り組まないと大変なことになると思います。日本は先進国のなかでは、一番危険な国土、気候のなかにあります。ですから、日本こそ地球温暖化、気候変動問題への対応の先駆的な役割を果たさなければなりません。しかし、現実はこの対応が最も遅れていると言わざるを得ません。 佐伯一麦という作家が書いた小説に「山海記」というのがあります。この作品は2020年芸術選奨文部科学大臣賞を受賞していますが、日本各地で起こった大規模な豪雨、洪水の様相を描いた作品です。作者は、このままでは日本の国土と国民の生活がダメになるとの警鐘をならしています。因みにこの作家は仙台出身で、東台日本大震災で深刻な被害を受けています。 「マークスの山」で直木賞を受賞し、「レディジョーカー」「冷血」「照柿」「太陽を曳く馬」などの作品がある高村薫が2016年に描き、毎日芸術賞を受賞した「土の記」という小説でも豪雨による山の被害をテーマとして扱っています。この作品は自然の美しさ、自然の恵み、これを享受する人間の生活をメインにしていますが、一方で自然の恐ろしさ、自然の力にはあらがえない人間の無力さをも描いています。 私達は、自然というものをもう一度原点に立ち返って考えなくてはならないと思います。要は、このままだと将来どうなるんだということに対する想像力の問題ですし、歴史や最近の豪雨による悲惨な状況に学ぶ必要があることを示唆しています。急峻な山や、その間を流れる川、渓谷の美しさは格別です。これを守り、一方でこれによる被害を減らす努力が必要だということでしょう。 脱炭素を考えるにあたって大切なことは、森林復活があります。森林は、二酸化炭素を吸収しますから、これによって温室効果ガスの発生を抑えることができます。それと当時に、山に根をはることになりますから、山の保水力を高め、山を流れ下る雨水の流れを抑制することができます。森林の復活、維持は長期的な計画性をもって行わなければなりません。森林を伐採した後、そこに計画的に苗を植え、それが成長するように管理していかなければならないということです。これを森林循環といいますが、日本ではずっと前から海外の安値木材との価格競争、伐採労賃の高額化等の事情から、伐採がなされないままの状態あるいは苗木が植えられていない状態が続き、好循環ができていません。 それではどうすればいいかというと、新たな木材の需要を喚起する必要があるということです。 その1つとして、有力なのが木材をチップにして燃やして発電をする木質バイオマス発電です。木質バイオマス発電はオーストラリアで進んでいて、発電源の半分以上を占めています。 山林が多い日本では、これから木質バイオマス発電に力を入れるべきです。この発電で木を燃やすときに二酸化炭素が発生しますが、それは成長した樹木が吸収してくれますから、大気中の二酸化炭素の量は変化しません。カーボンニュートラルの目的も達成することができます。そうすることで、杉、檜の伐採も進み花粉症もなくなるでしょう。 |