今回は、小林一三氏(1873年~1957年)がメインのおはなし。
小林一三氏は、現在の阪急電鉄の実質的な創始者。すぐに阪急百貨店を作り、その後に宝塚歌劇団を立ち上げました。プロ野球球界にも早くから参入して、阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ)を創立させ、映画界にも進出して、東宝映画を設立しました。凄いひとですね。
この人の、このような事業展開(今でいうビジネスモデルというレベルよりもはるかに壮大で、そこには夢が持ち込まれています。)は多くの人の目標となりました。東急グループの総帥と言われた五島慶太氏(1882年~1959年)は、現在の東急電鉄を設立し、東急百貨店を作り、武蔵工大などの学校経営にも乗り出しました。
しかし、同氏は映画とプロ野球参入はすぐにはできず、第2次世界大戦後に満映からの引き揚げ組を中心にして東映を設立しました。そして、次にプロ野球東急セネタースを立ち上げました。(この球団はその後、急映フライヤーズ、東映フライヤーズと球団名を変更、現在は日本ハムファイターズに引き継がれています。)しかし、レヴューにまでは進出しませんでした。
次は西武。
西部グループの総帥は、堤康次郎氏でした。
同氏は、鉄道事業と百貨店事業を行いましたが、映画界には参入せず、プロ野球経営が始まったのはかなり後で、黒い霧事件等で球団経営を続行していくことができなくなった西鉄が手離した後のライオンズを1978年に買収したことにはじまります。そのときのオーナーは堤康次郎氏の長男、義明氏でした。
なお、鉄道事業の拡大には不動産取得とその展開は不可欠で、3社とも活発な不動産事業を行っています。
もう1つは、鉄道会社ではないですが、松竹。
松竹は鉄道事業、百貨店事業、不動産事業は行っておりませんが、レヴュー(松竹歌劇団)、映画、歌舞伎の興業を行っており、その部分では小林一三氏と松竹創始者の白井松次郎氏、大谷竹次郎氏はライバル関係にあったようです。
松竹は、白井松次郎氏と大谷竹次郎氏の双子の兄弟(1877年生まれ)によって作られた会社で、(松次郎と竹次郎から松竹という社名が生まれたようです。)2人の父は相撲の興行師でした。2人は後に歌舞伎、人形浄瑠璃の世界に入って行き、映画界にも進出し、さらに浅草に松竹歌劇団を作ります。(これをSKDと略称していましたが、有名な人では倍賞千恵子、倍賞美津子の姉妹で、最近亡くなった女優の加藤治子がここの出身です。)
松竹は一時、プロ野球にも参入しています。2リーグ制になった1951年に、京都に本拠を置いて誕生した「松竹ロビンス」がそれです。後に「何と申しましょうか」と言って、野球解説をしたことで有名な小西得郎氏を監督に迎えました。やはり小林一三氏とのライバル関係がそうさせたのでしょうね。しかし、球団経営は難しかったのでしょうか、セリーグを制したのに、1年間でなくなり、大洋ホエールズに合併されました。この球団はその後、横浜ベイスターズ、現在のDeNAベイスターズに引き継がれています。
これら各社のビジネスモデルのようなものは、小林一三氏が作り上げたのですが、同氏は 政治家としても貴族院議員となり、商工大臣にもなりました。因みに、堤康次郎氏も衆議院議長を務めたことがあります。
同氏はロータリークラブの活動にも熱心で、その足跡は多くのロータリアンが知るところです。ロータリークラブでの小林氏のあだ名は、「ペラ」とのこと。
その由来は、宝塚歌劇は少女歌劇と言われていましたから、本格的な歌劇である「オペラ」から「オ」を取ったとのことです。
小林氏としては、これら数々の事業のなかでも、プロ野球と宝塚歌劇団の経営は絶対にやめないように言ったとのこと、庶民に夢を売ることを使命としていたのでしょう。
宝塚OBの女優には素晴らしい人が多いですね。宝塚音楽学校は入るのが大変難しく、全国から入学希望者が応募しますが、合格者は50名程度、そして2年間の厳しいレッスンを経て、団員となりますが、トップになれるのはほんの一握りですから、レベルは相当なものです。テレビや映画では目立った活躍をしている人以外にも、演劇界でたくさんの芸達者が活動しています。
小林氏の孫に松岡功という人がいます。
東宝の社長のなかでも際立った方で、映画界の重鎮です。人格も素晴らしい方で、映画の発展に大いなる寄与をされました。この人は、テニスの名プレーヤーでもあり、デ杯の日本代表にもなっています。
テニスを続けるべきか、実業家になるべきかで、随分迷ったそうですが、潔くテニスをやめ、実業界に身を置くことにしたのですが、その際、テニスとすっぱり縁を切るべく、トロフィーの全てを処分しました。
プロテニスプレーヤーの松岡修三氏は、松岡功氏と元宝塚歌劇団の女優との間の二男ですが、幼少のころ、父がテニスプレーヤーであったことは知らなかったとのことでした。
天から二物も三物も与えられる人がいるのですね。
日本の鉄道、レヴュー、映画、プロ野球の礎を築いた小林一三氏は、多くの庶民に夢を与えたかったのでしょう、あらためて敬意を表したいと思います。
なお、日活の創始者のなかの一人に、梅屋庄吉氏がいます。この方は、長崎出身の実業家で、孫文の辛亥革命を資金面で援助したことで知られています。
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