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2019/12/12 | 弁護士松坂徹也のコラム(34)「江戸時代の庶民の生活」 |
江戸時代の庶民の生活 今年に入って急に忙しくなり、コラムを書く暇がありませんでした。久しぶりのコラムです。 私は最近江戸時代の庶民の暮らしがどんなものであったか、今の時代の人より人間らしい生活を送っていたのではないかと思うようになり、このような問題意識のもと江戸時代の庶民を題材とした小説などを読むようになりました。 私がこのような関心を抱いた理由には法政大学総長で社会学者、江戸文化研究家の田中優子氏の発言や記事によるところもあります。
江戸時代の町人達の生活ぶりはどうだったかと言うと、一部の大店と呼ばれる商人を除いてほとんどの人がさしたる財産も持たず貧乏だったようです。飢饉にもかかわらず厳しい年貢の取立にあえぎ赤貧を洗うがごとき生活をしていた百姓に比べると少しは楽だったようですが、それでもほとんどの人が貧乏でした。長屋に住み、その日その日をわずかな収入で精一杯生きていたようで長屋の住人間の助け合いが不可欠でした。 江戸時代はどちらかというと男よりも女の方がよく働いていたようです。 会社なんかありませんから、いわゆるサラーリーマンのような仕事、それを支える家族という関係性はありえません。従って、男の仕事場があまりありません。男も女も等しく働いていたのですが、大店の番頭、手代などの職はありましたがその数はわずか、大工や指物師、左官、漁師といったところが男の仕事場でしょう。
それに比べると女の仕事はたくさんあります。 機織り、染め物、裁縫は女の仕事ですし、棒手振り(野菜や魚を市場から仕入れてきてそれを天秤棒の前後の先につけた木桶やざるに入れて町なかを売り歩く)の仕事も男と対等に女がしていたようです。それに家事もありますから圧倒的に女の方が仕事量が多かったわけです。 男は酒を飲んだり博打をしたりしてフラフラと遊んでいた人がたくさんいたのでしょう。そしてそれをあまりとがめなかったようです。 そういうわけで町人はみんなその日暮しで貧乏でした。鍋や釜その他家財道具すら持っていない人もたくさんいたようです。
江戸時代には損料屋という商売がありました。 損料屋というのは鍋、釜、食器などをお金を受け取って貸す商売です。今でいうとレンタル業のようなものです。損料という名は使うごとにその物が傷むから、それに応じた費用を頂くという意味で命名されたのでしょう。 損料屋は衣服や寝具も貸していたようで、衣類のなかには「ふんどし」もあったとのこと、驚きです。
この損料屋、明治以降は貸衣装屋さんに変わり、商売を続けたそうです。庶民が常時、自分の所有として物を持たなかったのは家が狭いということにあったのでしょう。 今の生活は家のなかに物があふれていてそれを処分するという断捨離の必要性がいわれていますがそんなことは起こり得なかったようです。庶民は損料屋から鍋や釜を借りて料理を作り、日々暮らしていたのですね。 ですから、欲やエゴはなくみんなで助け合いながら生きてきたのでしょう。
今でいうサラリーマンはいませんから出勤する人はわずか、ときどき寺子屋に行く子はいたでしょうが学校もありませんから、1日中家のなかで生活する人が多かった、ですから仕事場に行くのがつらいとか登校拒否もありません。 いじめやひきこもりもなく、うつ病や過労死などもなかったのでしょう。 今と比べると本当に人間らしい生活を送っていたと思います。 そのかわりみんなは助け合いのほかに「恩返し」を大切にしていました。
江戸時代の生き方に「恩送り」というのがあります。恩返しする人はいないけれども受けた恩に報いるため別の人に手を差しのべる。そしてその人は又別の人に送られた恩を返すというものです。 この精神は現代社会にも受け継がれるべきものだと思います。 深刻な災害等が起こったときに被害の回復に協力するボランティアがありますが「恩送り」はこれとは違うと思います。 ボランティアは有事に対する対応ですが、「恩送り」は日常生活のなかでの日々の生き方の問題です。 人々の心のあり方こそが大切なのでしょう。 現代社会は経済は豊かになっていますが、息苦しいことが多いですし、助け合いというのもあまりなく人間関係がギスギスしています。 江戸時代の心をとりもどす必要があるように思ってしまいます。
今回のコラムは久しぶりですからこの程度にとどめ次回以降、江戸の文化や芸能について書いてみたいと思います。 歌舞伎、人形浄瑠璃、遊郭などについてです。 |